五日間、花梨が和仁のもとに来なかった。
 ほぼ毎日のように和仁の邸に遊びに来ていたものだから――というのは、紫姫の館と和仁の謹慎場所が、徒歩で行き来できるほど近い場所にあったからなのだが――和仁は、日が進むにつれて不安になった。六日前、邸に来た際に「泰継に仕事を頼まれそうだ」というようなことをほのめかしていたので、おそらくそのせいだとは思われるのだが、文の一つも寄越さないので、何かあったのではないかと毎日気が気ではなかった。
 神子の来訪も便りも望めるような立場ではないし、本来ならば彼女を遠ざけるべきで、口にも態度にも出さずにいたつもりなのに、後見人時朝には主の心理など手に取るように分かるらしく、和仁をさりげなく励ましてくるので、最初は別に気にしていないと突っぱねていた和仁だったが、そのうち時朝に「そうだな」と同意するようになってしまった。花梨が来なければ、起きている間は邸の中で何かすることを見つけて、それに勤しむしかないので、正直なところ退屈だった。時朝は以前より内裏に重宝されている身であるため、日常的に主に付きっ切りでいられるわけではなく、小さな邸の中に女房を残し、出仕後に戻ってくるということが少なくない。謹慎が解かれれば和仁も仕事ができるようになるのだが、自ら志願するわけにもいかず、時朝が何かよい知らせを宮中から持ち帰るのを待つほかなかった。
 その日も、書などを読みながら日が暮れるまで彼女が来ることを期待していた。最近は雪が降ることが多く、日中でもかなり冷え込む時期になっていて、太陽が最も高い位置にある時間帯以外は、縁側で過ごすこともなくなった。なので、室の中に火鉢を設け、柱のそばに畳を敷き、背をもたれながら座っている。足下には、読み終えた巻物が数個、無造作に転がっていた。
 うとうとしていると、ふと女房の声が聞こえて瞼を上げた。軽い足音がこちらに向かってきたので、もしやと身体を起こす。

「……和仁さん?」

 花梨だった。彼女は、いつもと変わらない様子でひょっこりと顔を出し、室の様子を窺うと、お久しぶりですと微笑みながら和仁のそばに腰を下ろした。

「ごめんなさい、遅くに来てしまって。少し忙しかったの」

 久方ぶりの再会を喜ぶ言葉でも考えるべきなのだろうが、あいにく、和仁にはそんなことを言える立場ではなかった。和仁は「そうか」と頷くだけにし、寒さ避けに足元にかけていた衣をたぐり寄せ、花梨の細い肩にかけてやった。あちらに火鉢があるから近くに行くといいと言うと、花梨は不思議そうに和仁の顔を見つめてから、はい……と腰を上げて火鉢の方へ向かった。
 それから、奇妙な沈黙が流れた。彼女は紅の衣をかけた背中を和仁に向け、屈み込みながら暖を取っていた。和仁は、そんな少女の姿を少し離れたところから眺めて、柱にもたれたまま動かなかった。そのうち、夕暮れの橙の空が、深い藍色へと変わった。冬の京の一日はとても短く、闇に包まれてしまえば何もできないので、皆、早々に寝床に入って次の日を待つ。その繰り返しだ。和仁は、厭というほど似たような日々を過ごしてきた。だが、宮中にいるときに比べれば、謹慎中の今の方が心は平静だった。きっと花梨が安らかな空気を携えて和仁のもとに来るからなのだろう。神子の持つ神聖な気が、人間の罪の重さに負けることなど決してない。その澱みない優しさを受け入れながら、和仁は少しずつ彼女によって浄化されているのだろう。それは尊く、同時に申し訳ないことだった。
 和仁は立ち上がると、花梨の近くに歩んだ。見下ろした先の花梨は、寒そうに両手を火鉢にかざしていた。花梨と人ひとりぶん離れた場所に腰を下ろす。火鉢の中から漏れている光に照らされる横顔は、いつものように少し寂し気に微笑んでいた。

「私、まだ神子の力があるみたいなんです」

 くすぶる炭を見つめ、花梨は話し始めた。

「前に言った気がするけれど、泰継さんのお仕事を手伝っていたの。泰継さんのというより、陰陽寮のお仕事を。強力な呪詛が仕掛けられていて、解くために強い力が必要だから、神子の助けが欲しいって言われて。私、自分の力を使い切ってしまった気がしていたから、もう無理かもしれないと思ったんだけど、泰継さんには私の中に残っている力が分かるからって、結局、お手伝いをすることになったんです」

 彼女の口から漏れる息が白い。先ほどまで外を歩いていたこともあり身体が冷えているだろう。和仁は立ち上がり、近くの櫃から一枚衣を取り出すと、再び彼女の肩にかけてやった。
 花梨は和仁を見上げ、嬉しそうに笑った。

「ありがとう」
「……」
「お仕事は、上手くいったみたいだから、よかったです」

 そのあと花梨は、疲労しているような細く長い溜息をついた。彼女の顔は、どこか青ざめている気がした。また同じ場所に座り、暗闇に浮かび上がる花梨をじっと見つめ、和仁は、淡々と問うた。

「何があった」

 花梨は、見て分かるほどにびくっと肩を震わせた。え……と戸惑いの声を出しながらも、火鉢に視線を落としたまま、和仁の方を見なかった。いつもの花梨ではない。いつもなら、和仁に大きな二つの目を向けるはずなのだ、いま和仁が彼女を見つめているように、何かを見透かすように。